信用は、人間の持つ一番の宝物。消防設備ひとすじで築いた50年【稲城防災設備】

火災報知機やスプリンクラーなど、いざというときに人命を守る消防設備。それらの設置工事とメンテナンスの両方を稲城防災設備さんは請け負っています。友iな人々7回目は代表の奈良部さんにお話を伺いました。

消防設備の工事とメンテナンスを一貫して請け負う独自の経営方針

−会社の沿革を教えてください。

「事業内容は消防設備です。火災報知機や消火器もそうですし、消火栓やスプリンクラーなど、そういった消防設備全体の設計や工事、メンテナンスです。1976年からやっています。」

大手鉄鋼メーカーを早期退職したお父様と、学生時代に電気科で学んだ奈良部さんの二人で会社を始めたという。

「親父が勤めているときに消防設備のメンテナンスの方が定期的に来るんで、こういう仕事があるんだって目をつけていたらしんです。メンテナンスは一生なくならないから、この仕事をやろうかと。僕が専務、親父が社長で。景気が良くなり始めた時ですから仕事はいくらでもあったんですね。20代、30代は仕事に明け暮れてました。カラオケもその当時の歌は歌えないです(笑)徹夜防災って言われて、徹夜、残業は当たり前でしたね。」

 

−業務の内容を教えてください。

「消防設備でも火災報知機とか電気系のものばかりやっていたんですが、今は全般やっていますね。工事は華やかで利益も出たんですが、親父はメンテナンスに力をいれようと。それまでは工事屋さんとメンテナンス屋さん別だったんですよ。(それを)両方。工事をやったお客様からメンテナンスももらって、物件数が増えていくわけです。積み重ねですから。消防法で大きな建物は年に2回メンテナンスをやらなければならないことになっています。どんどん消防法が厳しくなっていったので、不景気とかそういうのは関係ないですね。」

設立し初めのころ、下請けとして工事を行う中で公団の方から『なかなか一生懸命やるから今度うちでもやってみないか』と声をかけてもらい仕事がひろがっていったそう。現在は、多摩地域の公団住宅と神奈川全体の公団住宅の2/3くらいを稲城防災設備さんが担当している。メンテナンスは地味な仕事というイメージがあるものの、続けていて良かったという。

 

−コツメカワウソがマスコットキャラクターなのですね。

「志村けんさんの動物番組にでていた小次郎というカワウソなんです。番組のプロダクションが神奈川県で小さな動物園みたいなのをやっていて、たまたまその社長と気が合って。」

かわいいですね、と話をしていたらカワウソを買い受けることになったという。頻繁に会社の屋上にプールを作って泳がせて、近隣の子どもたちの人気者だった。小次郎に会えるからと消火器を買いに来たお客様もいたそう。今は亡くなってしまっているが、可愛い写真をホームページで見ることができる。

 

41歳で胃がんを経験し、仕事に明け暮れた日々から激変した人生観。

−地域の自治会などのお仕事もされていますが、何かきっかけがあったのでしょうか

41歳のときかな、胃がんをやったんですよ。がんになった時点で人生の見方がかわりました。それまではがむしゃらに仕事ばっかりだったんですけど、がんになったら自分の人生何だったのかなって思うようになって。もし生き残れたら仕事ばっかりじゃなくて地域のこともやろうと。」

そう思っていた折に、東長沼地区の自治会から声がかかり自治会長に就任した。2000年当時の東長沼地区は、東京都で犯罪が多い地域のトップ5に入っており火災も多かったため、自治会で防犯パトロールをすることに。その後、多摩中央警察署からも声がかかり多摩稲城防犯協会の会長も引き受けた。

「稲城全体の自治会連合会の会長もやって、よくやりましたよね(笑)。」

最近は子どもが犯罪に走らない方法を一生懸命説いて歩いているという。

「アメリカのハーシという学者が、非行に走る子ではなく、なぜ非行に走らないのかという観点で研究していたんです。(それによると)地域との絆が強い子供は絶対に非行に走らないと。そうだなあと思います。今は防犯パトロールなども子どもを連れてきてくれるように言っています。」

 

今日という日は残りの人生の初日。会社経営と地域貢献も両立する仕事術とは。

−奈良部さんご自身のお仕事内容を教えてください。

「(昔は)現場をずっとやっていましたけど、地域のことをやり始めた40歳くらいからは営業的なことですね。」

それに加えて人材育成があるという。消防設備の仕事は、最近はセキュリティという分野として学べるものの、昔は会社に入って教えてもらうしかなかった。

「電気科出た人、機械科出た人を教え込んでいく。育てていくことですね。」

 

−お仕事のやりがいはどういうところですか?

「うちみたいな規模の会社だと、(従業員は)20年先にこの会社あるのかなって思うんですよ。ああ大丈夫だなって思わせるような大きな仕事をとってくる。これだったら安心して奥さん子供も育てられるなってなるので。結構無理して(仕事を)とっているから忙しいんです。でも、残業しても会社大きくしようって、目が輝いて。そういう顔を見るのがすごく好きなんですよ。」

−会社のお仕事、地域の役割などたくさんのお仕事をこなす秘訣はありますか?

「気持ちですよ。『今日という日は残りの人生の初日』とそういう考え方をして。朝起きてバシっと身構えるんで、結構色んなことできちゃうんですよ。」

 

毅然とした姿勢で、これからも信用を築いていく。

−お仕事をされるときの信条はありますか?

「火災報知機とかは火災から身を守るものです。間違えてつけちゃったり、スプリンクラーの試験をちゃんとやらないで作動しなかったりとか。そうするとものすごい人命が失われるわけですよ。やっぱり信用ですね。」

 

−信用を築くことは、どうしたらできますか?

「積み重ねです。歌舞伎町でもありましたよね、防火扉の前に荷物置いて。うちは必ず指摘してダメですよってやるんです。(建物の)オーナーに、書類を丸にしといてよって言われても断っちゃいます。そうしたお陰で逆に、じゃあこっちのビルもってなります。」

 

−これからどんな会社にしていきたいですか?

「信頼されて、防災の関係のトップになりたいですね。信用は人間の持っている宝物の中で一番ですよ。公団さんの仕事をもらったときもお前は信用できるからって、それが足がかりになって会社が大きくなったりしました。」

できるものはできる、できないものはできない、中間はない。といいきる奈良部さん。毅然とした姿勢で臨む仕事の積み重ねが信用につながっている。

「『お前のところはしっかりやってくれるから頼む』って貰った仕事は何十年経っても続きます。信用さえあれば。それっきゃないですね。」